先入観なしに聖書を学ぶ

キリスト者の自由への道

書店の聖書コーナーに行けば、聖書だけでなく聖書の注釈書が並んでいます。教会に行けば、その教派の教義にのっとって礼拝が行われています。近所で聖書の勉強会や個人レッスンが開かれていることもあるでしょう。忘れてならないのは、それらはあくまで他の人が聖書を読んで理解したことを説明しているものであるということです。先入観なしに聖書を学びたいなら、まず自分で聖書を読んで、考え、理解することが大切です。

どのように聖書を学ぶか

わたしは40年間キリスト教系のぼう宗教団体(以下、組織)に所属していました。聖書を学んでいるつもりでしたが、実際は組織の解釈を学んでいたに過ぎませんでした。というのも、組織の解釈を裏付けるために聖書が使われていて、解釈が中心だったからです。時にはこじつけに思えるものもありました。こういう学び方をすると、聖書を読んでいても組織の解釈が無意識に出てきて、そのうち聖書の教えと組織の教理が一体化してしまうんです。

リタ
リタ

組織のメガネをかけて聖書を読んでいるという感じですかね

Aさん
Aさん

なるほど

この体験を踏まえて、聖書を初めて学ぶ方にぜひ提案したいことがあります。それは、他の人の理解を学ぶ前にまずはご自分で、(1) 聖書を入手し1、(2) 新約聖書の部分を繰り返し読み、(3) イエス・キリストの行動と教えを中心に、キリストについての福音を理解することに努めることです。

Aさん
Aさん

ぼくにも理解できるでしょうか

リタ
リタ

できますよ!全部でなくても、大切な部分は理解できます

Aさん
Aさん

そうですよね、まずは自分で読んで、考えることですよね

リタ
リタ

そう!そのあとですね、他の人の理解を参考にさせてもらうのは

新約聖書は解説書がなければ理解できないような難しい本ではありません。2,000年ほど前に中東で起きたことが記されているので、当時の時代背景を知っていることに越したことはありませんが、少なくとも聖書の核心であるイエス・キリストについての福音とは何かは理解できます。それをおさえておけば、あとは多少分からないことがあっても、それはそれでよいとわたしは思います。いろんな聖書翻訳を読むうちに分かることもありますし、そうしてパズルが出来上がっていくようにイエス・キリストについての福音の全体像がはっきり見えてきたら、聖書の注釈書を読んだり、どこかの教会をのぞいてみたりして、彼らの理解を参考にさせてもらう、というのでもいいのではないでしょうか。

わたしは組織の教理を最初に学んでしまったので、先ほど触れたように聖書の教えと組織の教理が一体化していました。それで、聖書の教えと組織の教理とを切り離して別々にするプロセス(過程)が必要でした。今は先入観にとらわれずに聖書を読めるようになり、イエスの行動と教えを中心に、キリストについての福音への理解を深めることに日々努めています。

  1. 日本語の聖書翻訳はいくつもあります。代表的なものとして、新共同訳、口語訳、文語訳、新改訳、フランシスコ会訳があります。どの聖書翻訳にするか迷うなら、教文館公式サイトの“聖書の選び方”講座シリーズの特に2時限目「翻訳の違いについて」が助けになると思います。 ↩︎

このブログの目的はある特定の宗教団体を糾弾することではありません。キリスト者の自由を脅かす宗教団体はいくつもあり、その代表例として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)が挙げられます。