ステレオタイプに向き合う

キリスト者の自由への道

ステレオタイプとは

ステレオタイプという言葉をご存じでしょうか。ステレオタイプとは、多くの人に浸透している固定観念やイメージのことです。身近な例では、「A型の人は几帳面、O型の人はおおざっぱ」、「男性は理系、女性は文系」といったものがあります。

Aさん
Aさん

それってじっひとからげですよね

リタ
リタ

そう思います。だって、全員がそうではないのにひとまとめにして扱っちゃうわけですから。ステレオタイプで見られ、個性を無視された人は不快に感じたり、苦しんだりするでしょう

Aさん
Aさん

自分もやられたら嫌だし、ステレオタイプはいけないことですね

リタ
リタ

このように人間関係のトラブルの原因になりかねないステレオタイプですが、人はどのようにしてステレオタイプを持つようになるのでしょうか

それは学習です。多くの場合、親や仲間、メディアから学習します。わたしが40年間所属していたキリスト教系のぼう団体(以下、組織)にも独自なステレオタイプがありました。その典型を一つ取り上げ、そこで学習した根強いステレオタイプを解消するのに何が役立っているかもお伝えできればと思います。

組織から学習したステレオタイプ

わたしが組織から学習したステレオタイプに、組織のそとはすべて“世”であり、サタンの支配下にあるというものがあります。当然ながらそれには否定的な感情が伴います。たとえば、「世の人は信頼できない」などです。

Aさん
Aさん

えっ、じゃあぼくも外の人間だから信頼できないってこと?

リタ
リタ

ん〜、そこまで単純じゃないけど、心からは信頼できなかったでしょうね。どこか警戒心があるというか。でも、今はそんなことありませんよ。Aさん個人を見ていますから

Aさん
Aさん

それを聞いて安心しました💧

この偏見は普段は隠れていて見えないのですが、何かの拍子で差別的な言動となって現れ、周囲の人を不快にすることがあります。信者でない父は生前、「人のことを世の人、世の人って感じ悪い」と怒っていましたし、高校時代の担任の先生からは「あなたたちは独善的だ」と眉をひそめて言われたこともあります。

組織は“世の人”とわたしたちが交友を持つことを嫌がりました。当時わたしはそれを、サタンの“世”からわたしたちを守るためなんだろうと受け止めていました。でも、“世の人”を見下すような優越的な態度や考え方には違和感がありました。いま思うと、あのステレオタイプは組織と“世”という二つの集団の対立を生み出して、“世”に対する偏見や差別を正当化するのに使われていたように思います。

これはほんの一例で、組織から学習したステレオタイプはほかにもあります。それらについては追って触れる機会があるかもしれません。いずれにしても、無意識の思い込みであるステレオタイプは周囲の人を傷つける原因になりかねないので、組織から学習したものであれ、親や仲間、メディアから学習したものであれ、解消するに越したことはありません。そのために自分が努力していることを次にお伝えしたいと思います。

自分自身を変える

ステレオタイプを解消するために、わたしは次のことを努力しています。

  1. 自分がどんなステレオタイプを使っているかを知る
  2. ステレオタイプを使わないようにする
  3. 失敗から学ぶ
Aさん
Aさん

なるほど、3つのステップですね

リタ
リタ

はい、具体的に説明しますね

ステレオタイプはいったん学習してしまうと、無意識に使っています。ステレオタイプが“ある”のに“ない”と思い込み、あるがままを見ないということもあります。それで自分がどんなステレオタイプを使っているかを知ることが大切です。

次に、すでに学習してしまったステレオタイプを使わないようにします。ただ、40年間も無意識に使っていたので、いけないと分かっていても無意識に使ってしまうことがあります。そういう時は自分にがっかりしますが、失敗から学ぶようにしています。どういう場面でステレオタイプを使ってしまうのかを考え、次にそういう場面になった時はステレオタイプを使わないように自分を見張り、抑制し、制御するようにしています。これには意志が必要ですが、こうした過程(プロセス)を通じてステレオタイプを徐々に解消できるようになっていきます。

ステレオタイプの解消に役立っていることがほかにも二つあります。一つは、他の人の視点から世界を想像することです。相手の立場に立ち、自分自身がこの人物になったつもりで想像してみるようにしています。二つ目は、接触の機会を増やすことです。偏見は相手への無知や誤解に基づくことがほとんどなので、接する機会を増やして相手の本当の姿に触れるようにしています。

組織を脱会したことをきっかけに自分が持っているステレオタイプと向き合う機会を得て、感謝しています。これからはいちキリスト者として、黄金律と呼ばれる主イエスの言葉を心に留め、ステレオタイプを解消する努力を続けるとともに、新たなステレオタイプを学習することがないようにしたいと思っています。

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい

マタイによる福音書7章12節、新共同訳聖書

このブログの目的はある特定の宗教団体を糾弾することではありません。キリスト者の自由を脅かす宗教団体はいくつもあり、その代表例として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)が挙げられます。