キリスト者としての転機

キリスト者の自由への道

わたしは数年前、キリスト者の自由を手に入れるために、40年間所属していたキリスト教系の某宗教団体(以下、組織)を脱会しました。今から思うと、わたしのキリストしゃとしての転機は二十数年前、日野原重明先生の著書「生きかた上手」を実家で見つけ、それを読んだ時かもしれません。読み始めてすぐにその内容に引き込まれ、夢中になって読んだことを覚えています。それによってわたしのものの見方は大きく変わりました。

生きかた上手 日野原重明

人間はひよわな存在です。だから寄り添っていきることができます-。90歳を越えた医師からあなたへの贈り物。

自分と組織から主イエスと他の人へ

どういうことかと言うと、これまで自分と組織に向いていた矢印が、主イエスと他の人に向くようになったのです。ちょうどその頃、わたしが通っていた地元の教会1に元気のない信者がいて、その方を援助していました。それでその方に接する際はその方と主イエスに焦点を合わせるように意識し、その結果が目に見えて良いことも実感しました。組織とは関係なしにいちキリスト者として本当の意味でその人に寄り添い、つらい時の友になることができたように思います。

これ以降、“人よりも組織、主イエスよりも組織”を強調する組織の中で疑問や強い違和感を感じるようになりました。そして、組織よりも人を重視し、組織よりも主イエスに従うことを優先させました。組織の一員として挑戦となることもありましたが、これがわたしのその後20年間のスタンスとなったわけです。

思えば、キリスト者としてのこの転機があったからこそ、時おり国内外で報道される組織内での児童虐待のニュース、組織の成り立ちに関する外部の情報、組織の元幹部の内部告発などをあるがままに見て受けとめることができたのだと思います。そして組織を出る決意ができました。というか、出たかった、ここに留まることはできなかったというほうが適切かもしれません。ここを出てどこへ行けばいいんだろうとも思いませんでした。主イエスのところに行けばいいのだから☺️ ヨハネによる福音書に、主イエスの十二使徒の一人シモン・ペテロの言葉があります。

「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」

ーヨハネによる福音書6章68節、新共同訳聖書


今は主イエスのもとに帰って来れて、本当に幸せです。主イエスと他の人に焦点を合わせて、いちキリスト者として自分にできることをしていきたいと思います。天のお父さんと主イエスへの揺るがぬ信仰と愛に動かされて。

  1. 「教会」という言葉は、ギリシア語の「エクレシア」を日本語に訳したものです。 この「エクレシア」という言葉は、「人々の集い」を意味しています。 ↩︎

このブログの目的はある特定の宗教団体を糾弾することではありません。キリスト者の自由を脅かす宗教団体はいくつもあり、その代表例として世界平和統一家庭連合(旧統一教会)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)が挙げられます。