なぜブログを書くことにしたか
わたしがなぜブログを書くことにしたのか、誤解のないようにまずお伝えするのがいいだろうと思います。それは40年間わたしが所属していたキリスト教系の某宗教団体(以下、組織)を糾弾するためではありません。
そうではなく、脱会後、キリスト者の自由への道を本格的に歩み始めたわたしがどのように過去と向き合い、何を考え、どのようにキリスト者として日々を過ごしているかを綴るためです。それなら、日記で十分ではないかと思う方もいるでしょうが、わたしには一つ憂慮することがあります。
それは、組織を去る人の多くがキリスト者として歩むこともやめてしまうことです。組織と神が一体化しているとしたら、それも無理からぬことでしょう。でも、組織との結びつきがなくなっても、主イエスに結び付いていることはできます。逆に主イエスに結び付いてさえいれば、キリスト者として神に仕え続けることができるということを伝えたくて、ブログを書くことにしました。わたしの歩んでいる道がその一助になればと切に願っています。
キリスト者の務め
これは16世紀のドイツの画家マティアス・グリューネヴァルトの作品です。骨ばった長い人差し指で十字架上のイエスを指す洗礼者ヨハネが描かれています。
洗礼者ヨハネのように、世の罪を取り去る神の子羊を他の人に指し示すことが、キリスト者を名乗るすべての人の務めであると信じます。